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王政復古はここから始まった。明治維新十傑の一人
岩倉具視は、明治維新における王政復古に力を注いだ幕末、明治期の代表的な政治家です。文政8年(1825)に参議正三位堀河康親(やすちか)の次男として生まれたのち、天保9年(1838)に公卿岩倉具慶(ともやす)の養子になります。安政元年(1854)には、孝明天皇の侍従となり、次第に朝廷内において台頭し、発言力を増してきました。そのような中で公武合体をすすめるため、孝明天皇の妹、和宮の将軍家への降嫁を推進したことにより、尊皇攘夷派から佐幕派の巨頭と見られるに至り、文久2年(1862)に攘夷運動の高まりの中で辞官落飾し、洛北の岩倉村に慶応3年(1867)までの間幽棲しました。
岩倉具視は、元治元年(1864)に大工藤吉の居宅(現在の附属屋)を購入し、主屋と繋屋を増築して住居としたのが、この旧宅です。
当史跡は周囲を塀で囲まれ、居宅は茅葺の主屋(約60㎡)と瓦葺の附属屋(約67㎡)、繋屋(約9㎡)から成ります。他に敷地の南土塀に表門を構え、門を入って主屋南庭に通じる中門、池庭、離れの便所によって構成されています。平成20年(2008)から4箇年をかけて京都市が国庫補助を得て、本格的な修理を行いました。また、敷地の東側には、展示・収蔵施設である対岳文庫(国登録文化財)と管理事務所があります。
平成25年にこの史跡を長年にわたって守り続けてこられました(財)岩倉旧蹟保存会から京都市が寄付を受け、保存していくこととなりました。
岩倉具視が3年間住み、坂本龍馬ら志士たちも訪ねた、茅葺屋根の主屋。
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