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宮津城下屈指の商家、三上家の住宅から、近世宮津の繁栄を知る!
旧三上家住宅は、江戸時代に糸問屋や酒造業、廻船業などを営んでいた商家「三上家」の住宅でした。美しい漆喰の白壁で覆われたどっしりとしたたたずまいは、江戸時代から続いた豪商の家にふさわしい風格があります。三上家は安永5年(1776)に、河原町に家屋敷を得て分家したことに始まると伝えられています。しかし、天明3年(1783)に発生した宮津大火(晒屋火事)で焼失。現存する建物は、この火事以降に建て替えられ、しっかりとした耐火構造を備えています。建物の中には、酒造業を営んでいた当時を彷彿とさせる酒造施設や、平成12年に京都府指定名勝となった「三上家庭園」、格式高い座敷など、貴重で興味深い見所が数多くあります。町名主をつとめ、藩財政にも深く関わった三上家の住宅は、天保9年(1838)には幕府巡見使の本陣となり、慶応4年(1868)には、戊辰戦争の際の山陰道鎮撫使。西園寺公望の宿所ともなりました。町屋遺構としては大規模な部類に属し、再建や家格の上昇等に伴う増改築当時の様子がよく残されており、あわせて普請関係文書が残されていること、酒造施設がよく保存されていることなどの点から、非常に価値の高いもので、平成15年には主屋をはじめとする8棟が、国の重要文化財に指定されました。
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