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徳川家康ゆかりの城を巡る

徳川家康ゆかりの城を巡る

最終更新

豊臣秀吉の死後、五大老筆頭として権力を握ったのが、徳川家康。関ヶ原の戦いの後に京都に二条城を築き、さらに大坂の陣で勝利すると、名実ともに天下人となりました。現在の大阪城は、秀吉の大坂城を地下に埋め、改めて2代将軍秀忠が築城したものです。
今回は、徳川家康所縁の代表的な2つの城をご紹介します。

二条城

関ヶ原の戦いに勝利して征夷大将軍となり、名実ともに天下人となった徳川家康。1603年に、御所の守護、そして将軍が上洛した際の京の滞在場所として建てられたのが二条城です。時代が下って1867年には、大政奉還の意思表明が15代将軍徳川慶喜によって二条城でなされたことにより、江戸時代の終わりを告げたのも二条城でした。ちなみに、家康が建てた二条城は二の丸御殿周辺のみ。天守や本丸御殿を含む現在の二条城の姿になったのは、寛永時代。徳川家康の子・秀忠、孫・家光が、後水尾天皇を迎えるために大改修を行ったものです。

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伏見城

古来から京都と大阪を結ぶ要衝・伏見。豊臣秀吉は晩年、この地に伏見城を築城しました。秀吉が亡くなると、ここに徳川家康が入城しますが、関ヶ原の戦いの際に、石田三成に攻められて焼失。1602年頃、家康によって伏見城が三度再建されました。この伏見城は1623年に廃城となるまで、家康・秀忠・家光三代が将軍宣下を受けるなど、徳川氏の西の拠点として機能し続けました。城跡は明治天皇陵となっており、中心部分に立ち入ることはできませんが、大規模な堀跡などを見ることができます。

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