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豊臣秀吉ゆかりの城を巡る

豊臣秀吉ゆかりの城を巡る

最終更新

天下人となって築いた大坂城をはじめ、最初に居城とした長浜城、出世の足掛かりとなった姫路城など、関西各地にゆかりの城が残っています。尾張の足軽からスタートした立身出世の物語を追うように、城のスケールもビッグになります。今回は、豊臣秀吉所縁の代表的な2つの城をご紹介します。

長浜城

尾張の農民の出身ながら織田信長に仕え、のちに関白にまで登りつめた豊臣秀吉。1573年に浅井長政の小谷城を攻略した活躍が認められ、浅井氏の所領を与えられました。その後、豊臣秀吉が築城したのが長浜城です。もともとは「今浜」という地名でしたが信長の名から一字をとって改名して「長浜」に。ここで初めて秀吉は一国一城の主となり、出世街道の大きな節目となった場所といえるでしょう。

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大坂城

1577年から秀吉は信長の命によって、西方の毛利輝元の勢力を取り崩すための「中国攻め」に取り組んでいました。1582年に明智光秀の謀反(本能寺の変)が起こって織田信長が自害したときも、秀吉は備中高松城(岡山県)で毛利軍と戦っている最中でした。しかしすぐさま京へ戻って明智光秀を討ち、次の天下人に名乗りをあげました。そして早くも翌年には、巨大かつ壮麗な大坂城の築城に着手しています。以降、柴田勝家、徳川家康など、名だたる武将との勢力争いに勝利。1585年に関白の宣下を受け、翌年には太政大臣にも就任。天下人としての地位をゆるぎないものにしました。晩年には、聚楽第や伏見城、京都新城(いずれも京都市)のほか、湯治で訪れる有馬温泉にも湯山御殿(神戸市)を建てました。

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