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織田信長ゆかりの城を巡る

織田信長ゆかりの城を巡る

最終更新

織田信長と言えば琵琶湖畔の安土城が有名ですが、室町幕府の将軍足利義昭のために京都に築いた二条城(旧二条城)や義弟浅井長政と対峙した姉川の戦いの戦場となった小谷城などもゆかりの城にあげられます。今回は、織田信長ゆかりの代表的な2つの城をご紹介します。

安土城

約450年前の室町時代末期、尾張(現在の愛知県)の一領主から、天下人への階段を駆け上がったのが織田信長です。桶狭間の戦いで駿河(静岡県)の領主である今川義元を破り、さらには斎藤龍興が治める美濃(岐阜県)も攻略。続いて、堺(堺市)で調達した鉄砲を使用したことで有名な長篠の戦で武田勝頼氏を滅ぼすなど、「天下布武」を掲げて天下統一を目指し、京に入った信長は将軍足利義昭のために二条城(旧二条城)を造営します。そんな中、1579年に完成したのが安土城。山の頂上に築いた5層6階地下1階のきらびやかな天主は信長の強大な力を存分に誇示するものでした。しかし、1582年には明智光秀の謀反に遭い、信長は京の本能寺で自害。安土城も信長と運命を共にし、その姿を消しました。

安土城のもっと詳しい情報が知りたい方は滋賀県立安土城考古博物館に行ってみることをおすすめします。

小谷城

小谷城展望峠

小谷城展望峠

天下統一に向けて突き進む織田信長に反旗を翻した武将の一人が、信長の妹・市(いち)の夫である近江(滋賀県)の浅井長政。越前(福井県)の朝倉氏と組んで、信長軍を挟み撃ちし、後世に「金ヶ崎の退き口」と呼ばれる退却に追い込みました。その浅井氏の居城がこの小谷城です。しかし、浅井・朝倉両軍は姉川の合戦(1570年)で敗れ、浅井長政は小谷城に籠城。奮戦むなしく1573年、豊臣秀吉に攻略され小谷城は落城し、浅井家は滅亡しました。長政と市の娘である、茶々(豊臣秀吉の側室)、初(京極高次の正室)、江(徳川秀忠の正室)の浅井三姉妹の波乱万丈の人生も、この城から始まったのです。

出丸跡より本丸を望む

出丸跡より本丸を望む

小谷山

小谷山

小谷城の詳細はコチラ

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