神々が暮らす大和と紀伊「発酵食」を学ぶ ~奈良から和歌山への心身浄化(リトリート)の食旅へ~

神々が暮らす大和と紀伊「発酵食」を学ぶ ~奈良から和歌山への心身浄化(リトリート)の食旅へ~

2023年03月07日

The KANSAI Guide

日本の古都、京都と奈良がある関西地方はアジア大陸との貿易の中心地でした。現在、伝統的と伝わる日本の食や宗教、建築といったさまざまな文化は、数世紀前の貿易によってもたらされた中国や韓国などのアジア諸国からの影響を受けて培われたものです。

6世紀からアジアと日本の使節団が互いに往来し、日本に仏教が広まりました。今回の旅では、奈良県和歌山県における宗教文化と醤油や味噌の発達に仏教伝来といった貿易が与えた歴史を学ぶとともに、心身を癒すリトリートを目的とした食旅に出かけました。

金峯山寺

奈良県南部の山地にある「吉野」は、スギやヤマザクラ、温泉や「修験道」の地として知られています。修験道は、古神道の山岳信仰と、仏教や道教などの思想が融合した日本独自の宗教です。

修験道で最も重要な施設の一つとなっている金峰山寺は、「役(えんの)行者(ぎょうじゃ)」によって7世紀ごろに創立されました。吉野を代表する寺院のひとつであり、世界遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産にもなっています。

金峯山寺の修験者は、火を用いる「護摩」をはじめ、ほかの仏教寺院と同様の儀式も行いますが、険しい吉野山を登ったり、滝つぼで冷たい滝に打たれたりする修験道の厳しい修行も行います。

天正20年(1592)に再建された本堂「蔵王堂」の立派な柱には、枝を切り落とした自然木が使われています。堂内には、普段は公開されていない修験道の本尊「蔵王権現」三体が安置されています。このほか、広大な境内には「観音堂」や「仁王門」など多数の建造物があり、仏像が安置されています。

奈良の発酵食文化:柿の葉寿司

柿の葉寿司は保存食として、昔から吉野の地域で愛されてきた料理のひとつで、塩で締めたサバなどを程よく発酵させ、薄切りにし酢飯に乗せ、柿の葉で丁寧に包んだものです。抗菌効果のある柿の葉で包むことで腐りにくくし、 柿の葉の香りを移すことで魚の臭みを抑えています。

金峯山寺の表参道沿いには、柿の葉寿司を販売する店が軒を連ねています。中でも「柿の葉すし ひょうたろう」では、自分で、柿の葉寿司を作ることができ、柿の葉と調味済みの酢飯、塩で締めたサバを使って、店主が手本を見せてくれます。

単に包むだけの簡単な作業と思われるかもしれませんが、店で売られているように美しく仕上げることは難しく、自分で包んだものと熟練の職人のものとを比べると雲泥の差があります。柿の葉寿司は、すぐに食べてもおいしいですが、常温で一日置いた方がより味がなじみ、まろやかな風味に変化するのでおすすめとのことです。

高野山

吉野を下り、隣接する和歌山県の山地を登ると、そこは仏教寺が点在する高野山です。高野山は弘仁7年(816)に空海が開いた真言宗の中心地です。高野山には真言宗の総本山金剛峯寺をはじめ、多数の寺院があり、杉木立に囲まれた空海の御廟「奥之院」などの聖地もあります。

高野山では、宿坊に一泊するのもおすすめです。宿坊には一般客も宿泊でき、食事には精進料理が提供されるなど、寺院の暮らしを間近に見ることができます。また、高野山のほとんどの寺院で、早朝に行われる護摩祈祷に参加することもできます。

愚庵(ぐあん)

高野山から和歌山県の西側にある湯浅町へ向かう山道に、昔ながらの農家を思わせる黄色い壁の建物があります。川のほとりに佇むこの建物が和食料理店「愚庵」です。看板メニューは伝統的な大かまどで茹でた手打ちそばです。

そのほか、地元産の旬の食材と肉や魚を使った料理を特別な空間でゆったりと味わうことができます。リノベーション済みの店内には数組の椅子とテーブルが配置され、天井には伝統的な木工技術を生かした垂木や太い横木が見えます。大きなガラス窓からは、広大な前庭の芝生や、裏庭を流れる川を眺めることができ、窓から差し込む太陽光の変化を感じつつ、緩やかな時間を過ごせます。

地域の薬草を浮かべたいい香りのする足湯が楽しめたり、お茶室で本格的なお抹茶体験ができたり、高野山のお坊さんが願いごとを書いた木を焚いてくれる、護摩祈願体験ができたりと、食事以外にも、一日中飽きずにいろいろな体験を楽しむことができそうです。

湯浅町

和歌山県の湯浅町は日本料理に欠かせない発酵食・醤油の発祥地といわれています。13世紀に中国から帰国した仏教僧が持ち帰った金山寺味噌の祖となる径山寺味噌の製法を人々に伝授しました。この金山寺味噌から偶然生まれたものが醤油です。

一般的な味噌は、大豆などの材料を発酵させて造られますが、金山寺味噌には、キュウリやナス、シソやショウガなどの野菜が使われます。発酵させた後、樽底に残ったうま味の多い液体を調味料として使ったことが醤油の始まりといわれています。

湯浅町は数世紀にわたり、醤油の主要産地として。江戸時代の一時期の湯浅町には90カ所ほどの醸造所がありました。その後、醤油の製法や製造技術は別の地域にも広がり、現在は、千葉県が大規模な生産地となっています。湯浅町の醸造所は数えるほどしか残っていませんが、今でも伝統的な製法で醤油を造り続けています 。

また、平成18年(2006)に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、湯浅町の中心部には醤油蔵や醤油製造にかかわる古い建物が多く残され、かつての繁栄を肌で感じながら散策が楽しめます。 博物館となっている古民家や蔵のほか醸造所の見学ツアーや醤油味のソフトクリームなど醤油に関する多様な商品を提供している醸造所もあります。

また、先ほど紹介した「愚庵」では、湯浅の醤油や味噌を用意してもらうことが可能で、なかなか手に入らない幻の日本酒と一緒に楽しむことができます。

まとめ

何世紀前に仏教の伝来がなかったら、日本の宗教は今とは異なるものだったことでしょう。また、海外との貿易がなければ、味噌や醤油などの日本料理に欠かせない発酵食もなかったかもしれません。日本人が脈々と受け継いできた、自然や神への祈りやその精神、また発酵や保存食、地域食などの文化を人々に繋いでいること、これらはリトリートの要素としてとても重要だと感じました。

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