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明治初期、賭博の流行を憂える村の青年たちが、健全な娯楽として人形座を結成しました。以来、唄により精神を高揚させ、三味線にお囃子で心を浄化し、人形の舞により人情の機微と基本を養っていったと伝えられています。円通寺起源の念力節から、後に義太夫節でも人形を遣うようになりました。
水口人形芝居は、江戸末期、労働の厳しさや生活の苦しさを慰めるため酒や賭博などの安易な娯楽を求める風習があった中、こうした悪風を改善しようと健全な娯楽として取り入れたことが起源であると伝えられています。つまり、文化活動の地域にもたらす効果がすでに認識されていたということです。