1000年の時を超え、捧げ続けられる人びとの祈りに出会う旅
2022年02月22日
1300年の歴史を誇り、日本最古の和歌集である万葉集にも「あをによしならのみやこは咲く花のにほふがごとく今盛りなり」と、その栄華の様子が歌われた奈良。
中心部の奈良市だけでなく、日本屈指の桜の名所である吉野や桜井地区には、豊かな原始の山々と世界遺産をはじめとする古社古刹が点在しており、そこでは今もなお敬虔な古来の宗教が息づいています。
日本人の、宗教観や大和心の根幹をなす自然と祈りの原風景を訪ねて、奈良市内から吉野の山中へと、一泊二日の旅に出かけます。
古の人びとが歩いた山道をたどり「千古不磨」の祈りが続く春日大社へ
最初の目的地である春日大社は、春日山原始林の麓にある神社で、原始林・社殿ともに世界遺産に認定されています。ここではご神職等に案内していただき、春日大社の縁起などを伺いながら二之鳥居をくぐって、参道の先にある御本殿を参拝します。釣燈籠が重なる東回廊を通り、春日の神様が降臨されたという、神山・御蓋山の頂上を望む御蓋山浮雲峰遥拝所(みさかやまうきぐものみねようはいしょ)、国宝の御本殿へと足をすすめていきます。
朝の澄み切った空気の中、耳には玉砂利を踏む音と春日大社の神鹿の鳴き声が響く静謐なひと時、心の底から穏やかな気持ちになることができました。
目にも舌にも風味絶佳の幸福。1日2組だけの特別メニューを楽しむ
春日大社を後にして向かうのは奈良市郊外。住宅地の一角に趣ある門を構えた料亭花垣でランチをいただきます。ミシュラン2つ星に輝くこの料亭は、昼夜ともに各1組ずつだけの完全予約制。伝統的な和食の流儀を用いつつ、店主の創意がきらりと光ります。常時5種類以上の素材を巧みに組み合わせることで、複雑玄妙な旨味を醸し出した出汁、信頼のおける漁師や生産者から直接、その日最も良い素材だけを仕入れて作られる、おまかせコース。
流行に流されることなく、真摯に食材と向き合って作られた、けれんみの一切ない本物の美味さがここにはあります。
仏教建築最高峰の美しさを誇る大伽藍と、美しくも優しい如来像に出会う
ランチに舌鼓を打った後は、法相宗の日本における大本山、薬師寺を参詣します。
境内に到着後、奈良の朝廷文化華やかなりし白鳳時代の様式を今に残す大伽藍や回廊を僧侶の案内のもと巡ります。この時の僧侶の解説は非常にわかりやすく、巧みで思わず膝を打つような面白さ。さまざまな知識に感服しながら、金堂へ向かい東洋美術の最高峰との呼び声も高い本尊の薬師瑠璃光如来と日光・月光菩薩の三尊を拝覧します。本尊の台座には、ギリシャ・ペルシャ・インド・中国を代表する紋様が描かれており、遠くシルクロードを通って伝わった仏教やオリエント文化の終着点が奈良であるということを強く実感させてくれます。
歴史ある醤油蔵を改装したホテル&醤油をテーマにした美食を味わう
薬師寺で仏教美術の奥深い知恵と美術を楽しんだ後は、本日の宿泊先へ。
マルト醤油は創業1689年以来、300年以上にわたり続いた醤油蔵。第二次大戦後に一度は蔵を閉じてしまったものの、現在18代目となる当主、木村浩幸さんの努力により天然醸造法が再現されています。
江戸時代から引き継がれた醸造蔵などはかつてのままに、一部の蔵や原材料庫などをリノベーションして宿泊施設として使用しており、黒く光る重厚な柱や天井付近を走る太い梁には、現在の建築物では見られない質実剛健な用の美が込められています。
夕食もこの醤油蔵でいただきます。「醤油料理」をテーマにしたそれは、蔵元しぼりの醤油と季節の地野菜をふんだんに利用したモダンなもの。
宿泊者限定で18代当主の案内のもと、屋敷内部を巡り合わせて、もろみから醤油をしぼり出す醤油しぼりを体験。さらにこの醤油を使った葛餅をいただきます。また、翌朝には古代大和の景色が広がる朝参り体験も行っています。
心と体を揺さぶる読経の声、朝の長谷寺で神秘的な勤行体験
伝統の吉野手漉き和紙を職人の手解きを受けながら自分の手で漉き上げる
勤行の後、宿に戻り朝食とチェックアウトを済ませたら、ハイヤーで奈良の山道を南に走り吉野の里へと向かいます。吉野杉や桜の並ぶ山の中、滔々と流れる吉野川の川辺にあるのが、福西和紙本舗。吉野手漉き和紙の伝統を守り継ぐ手漉き和紙の工房です。楮を原料とし、化学薬品を使わない昔ながらの木灰煮熟を行い、ねりとともに白土を加えて漉き上げられる和紙は、しなやかで強く、柔らかな質感を持っています。この材料を使い、私たちも手漉きに挑戦。出来上がった証書サイズの和紙は、熟練の職人と比べると少し不恰好ですが、世界に二つとないオリジナルな旅の思い出の品となります。
吉野の名水が磨き上げた、小気味良い喉越しの手打ちそばを堪能
手漉き和紙に熱中しているとあっという間に、お昼時に。吉野山の山奥へ続く急峻な坂道の半ばにある矢的庵では、吉野の山中から湧き出る名水を使ったお蕎麦がいただけます。
矢的庵の店主、大矢貴司さんは吉野生まれの吉野育ち。戸隠の名店で修業を重ねた後に、名水の里である生まれ故郷で、手打ちそばのお店をオープン。挽きたて、打ちたて、ゆがきたての三たてで供される蕎麦は、心地よい喉越しと香りが特徴。さらに吉野の水で丁寧に引かれた出汁が蕎麦の甘さと、香りを一層引き立ててくれます。
炎を通して自らと向き合い、祈りを捧げる護摩供に参加
矢的庵での昼食の後は、いよいよ今回の旅での特別文化体験のクライマックス。世界遺産、國軸山(こくじくさん) 金峯山寺へと向かいます。
日本独自の宗教である修験道の総本山であり、7世紀の伝説的な人物、役行者(えんのぎょうじゃ)を開祖とするこの寺院の本尊を祀る蔵王堂で、護摩供を見学。続いて、本坊(智泉閣)でお茶を飲みながら、修験道を実践しつづける僧侶の法話をお聞きします。この時、都合が合えば金峯山寺の管長のお話を聞けることも。神仏習合や本地垂迹といった日本における神道・仏教・修験道などの各宗教がたどってきた歴史について、また修験者たちの生活やその厳しい修行の様子といった、普段私たちが触れることのない、日常を祈りと修行の中に生きる人びとの精神を学んでいきます。
悲運の天皇が眠る寺院に、日本らしい宗教の源泉を知る
吉野は鎌倉末期から室町時代にかけて、後醍醐天皇から続く四帝が朝廷を構えた地。南朝と呼ばれたこの朝廷に特にゆかり深いのが、塔尾山・椿花院 如意輪寺です。寺院の後ろには悲運にしてこの地で生涯を終えた後醍醐天皇が埋葬された陵墓があります。
この寺では、僧侶による寺院の解説とともに、木魚を使った読経が体験できます。また、真言宗系の山岳宗教の寺として始まり、南北朝時代を経て衰退するも、復興し浄土宗寺院となった同寺の数奇な寺運の話は必聴。神も仏もともに並び立つ、日本のおおらかで優しい宗教観の一端に触れることができます。
鉋がけを通して理解する、日本が世界に誇る、銘木吉野杉の魅力
旅の最後に立ち寄るのは、吉野杉を使った家具を作る家具工房のPROP。杉材は通常、家具にはそれほど適していないのですが、日本固有種である吉野杉はしっとりとした落ち着いた色味で、保温性などに優れるため、その質感を活かし、無垢材として家具に使用されます。この工房では、吉野杉の板材に、日本古来の大工道具である鉋をかけるという貴重な体験ができます。体験の後は、職人の解説を聞きながら、家具の工房や展示場を巡ることもできます。
日本の朝廷文化とともに、神仏や自然と向き合い祈りを捧げる日本の宗教心の源流が今も残る奈良・吉野。豊かな自然を相手に祈り、研鑽し、技術を守り、それらを子の代、孫の代へと伝え続ける人びとの姿は、私たちが忙しい生活の中で忘れていた真摯で純粋な心を今一度呼び起こしてくれる機会となるかもしれません。