山本勘太夫社中による伊勢大神楽を特別鑑賞
2021年12月27日
江戸時代から約450年以上の歴史を重ねる伝統芸能、伊勢大神楽。1981年に国指定重要無形民俗文化財となり、5つの家元が伝統の技と心を今に受け継いでいます。
そんな家元のひとつ、山本勘太夫社中による大神楽は、一般的なパフォーマンスと似て非なる、人の心に寄り添うスタイルが身上。若き親方率いる社中が、伊勢大神楽の本質と魅力を伝えてくれます。
鑑賞の舞台となるのは、景勝地二見浦に佇む国指定重要文化財の賓日館。皇族や要人が伊勢神宮参拝時に滞在した豪奢な貴賓館は、空間に身を置くだけでも充分な価値がある歴史遺産です。
清き渚の景勝地、二見浦に佇む貴賓の館
三重県東部の伊勢湾沿岸、白砂青松の美しい風景が広がる二見浦。古くから伊勢神宮参拝前に心身を清める禊場だったという清き渚は、日本初の公設海水浴場として、また名勝として国の指定を受けるなど、特別な場所としての歴史を重ねてきました。そんな地に佇む日本建築の館が、今回の特別文化体験の舞台となる賓日館です。
賓日館は、天皇家や皇族をはじめ伊勢神宮に参拝する賓客の休憩宿泊施設として、明治20年(1887)に建設されました。その後一世紀あまりにわたって歴代の皇族や各界の要人を迎え続け、2003年に資料館として開館。2010年には国指定の重要文化財となり、建設から130余年の歴史を刻み続けています。
建物外観や内部の設え、庭園など、日本伝統の技と粋が結集した館は、それ自体が一級品の文化遺産。そんな場を借り切って伊勢大神楽をプライベート鑑賞することは、文字通りの特別な体験となることでしょう。
“お伊勢参り”ゆかりの芸能として、450年以上の歴史をもつ伊勢大神楽
賓日館を舞台に披露される、伊勢大神楽。450年以上にわたって受け継がれてきた、伝統芸能です。その興りは、2000年の歴史を有する“日本人の心のふるさと”伊勢神宮と深い関わりがあります。江戸時代、伊勢神宮への参拝“お伊勢参り”は庶民にとって最高の娯楽でした。天照大御神が鎮座する聖地の周辺には土産物屋や遊郭が軒を連ね、現在の厳かな様子とは異なる、娯楽と信仰の世界が広がっていたといいます。
当時、お伊勢参りが叶わない遠隔地の人びとのために、獅子舞のほか放下芸や萬歳など娯楽芸能を披露しながら日本各地を巡り、伊勢神宮の神札を領布して回ったのが伊勢大神楽の原型です。大神楽師は伊勢神宮への代参人という位置づけから、代神楽とも呼ばれます。
一年の大半を旅先の空の下で過ごす伊勢大神楽社中の一行が、地元へ帰るのは年に一度。12月に三重県桑名市の増田神社で行われる祭礼に合わせて旅から戻り、大晦日には再び諸国へ向けて旅立つのです。
演目復興や後継者育成にも尽力。生きた文化財、山本勘太夫
伊勢大神楽講社に属する5つの家元のひとつ、山本勘太夫社中。江戸時代からの大名跡を受け継ぐ七代目の親方は、大学在学中の2008年に22歳で父の元へ入門しました。後継者不足で1980年代頃から中断していた放下芸を習得するなど、断絶の危機にあった演目の数々を復興。2014年に、家元山本勘太夫を襲名しました。自身の入門が遅がけだったこともあり、大学卒や20歳を過ぎてからの志願者にも広く門戸を開くなど、後継者育成による伝統芸能の継承にも力を注いでいます。
「重要無形民俗文化財というのは、名刺の肩書のようなものに過ぎません(笑)。構えずに鑑賞し、本質的な部分を感じていただきたい」と、気さくに話す勘太夫師。とはいえ、時に凛々しく、時にはひょうきんに、多彩な表情や所作で伊勢太神楽を演じる姿は、まさしく生きた文化財です。
パフォーマンスとは一線を画す、伊勢大神楽の本質
山本勘太夫社中のモットーは、シーンやロケーションを問わず、必要とされれば駆けつけること。事実、勘太夫師は、神事や祭礼の神賑として催される行事はもちろん、婚礼や年祝いの慶事、お悔やみや先祖供養などの弔事、場の清祓いや各種祈願まで、個人の依頼に応えて神楽を奉納しています。勘太夫師が語る伊勢大神楽の本質とは、そんなところにあるといえるでしょう。
「伊勢大神楽は、喜怒哀楽の感情や想い、祈りや信仰といった人びとの心に寄り添う芸能です。大道芸などのパフォーマンスとは異なり、演目のテーマやそれぞれの所作に、深い意味合いが込められていることを、五感で感じていただければ」。
勘太夫師率いる社中の神楽を目の当たりにすると、図らずも心の底からさまざまな感情や思いが湧き上がってくることに気づくでしょう。