地球のエネルギーが生んだ聖なるライン ~「中央構造線」がもたらす不思議な力~
2020年03月11日
縄文時代の遺物が発掘された宮滝遺跡は、近畿地方のへそに位置する奈良県吉野町にある。一帯は、緑色の岩が切り立ち、巨岩壁の間を縫うように濃緑の清らかな水がうねりをなす。そこは仙人が住むような神々しい別世界だ。
今からさかのぼること1400年近く前の656年、時の斉明天皇がこの地にあえて吉野離宮を造営したのも、そこに大地が放つ特別な力を感じたからなのだろう。吉野川の急流に立ちはだかる断層崖は緑色の塊をなして、そこから東へ、西へ、海に落ちるまで続いている。
1885年、ドイツからやってきた地質学者、エドムント・ナウマンは、中央日本から紀伊半島、四国にかけて日本列島を横断する1,000㎞に及ぶ世界有数の断層線の存在を明らかにする。紀伊半島を横切るように東西に延びる緑色の岩石群こそ、まさにその大断層線上に位置していた。
後に「中央構造線」と名付けられるこの大断層がかたちづくられたのは、ジュラ紀末から白亜紀初め頃(約1億4千万~1億年前)のこと。中央構造線の境界に表れる岩石群はその北側(内帯、Inner Zone)と南側(外帯、Outer Zone)で明らかな違いが見られる。とくに南側には緑色片岩の岩石帯が広がる。緑色片岩は、緑色の鉱物が醸す穏やかな色合いと、薄い葉を重ねたような構造が織りなす縞模様が特徴だ。そして、この中央構造線上には不思議と精霊を宿す施設、信仰の聖域が集まり、その多くでなぜか緑色片岩が使われている。
紀伊半島を横切る中央構造線の東端にあり、古来より日の出を拝む場所として知られる三重県伊勢市の夫婦岩のうち男岩は緑色片岩の塊であり、いにしえより多くの人によって拝まれてきた。そして、夫婦岩から南西に8kmほどのところに位置する、日本人の心のよりどころ、伊勢神宮こそ中央構造線上に鎮座している。
古くから断層のあるところでは火山活動が活発で地震が頻発に起きていた。厄災を鎮めるために伊勢神宮がこの場所に祀られたとしても不思議ではない。五十鈴川の烏帽子岩や鏡岩の巨石群も緑色片岩で、緑石の上を滑るように流れる五十鈴川の水はひときわ清らかだ。
さらに西へ進むと、三重県松阪市の月出川源流域で中央構造線の断面を間近で見ることができる。月出中央構造線露頭だ。1959年の伊勢湾台風によるがけ崩れでその岩肌が現れ、内帯と外帯の境界がはっきりと確認できる。2002年には国の天然記念物に指定され、「日本の地質100選」にも選ばれている。
近畿の屋根に当たる大台ケ原に発する吉野川が北上して中央構造線に交わる辺りに冒頭にも触れた宮滝遺跡はある。吉野離宮は斉明天皇による造営後、大海人皇子(後に天武天皇)や持統天皇、聖武天皇などの行幸があり、行幸とともに多くの歌が詠まれた。発掘された宮殿の礎石には緑色片岩が使われている。天皇家がこれほどまでにこの地を大切にしたのは、大地の営みから湧き出てくる悠久の力を感じ、それを得ようとしたからではなかったか。これらの歴史は吉野歴史資料館で知ることができる。
吉野川は紀ノ川へと名前を変え、和歌山県に入る。和歌山市の紀の川南岸扇状地に広がる岩橋千塚古墳群は、4世紀末から7世紀にかけて造られた850基を超える全国最大規模の古墳群だ。大陸から渡来し一帯を支配していた豪族・紀氏一族の墓域であるとされる。これら古墳群の石室は、緑色片岩に積み上げにより築かれている。また、紀伊半島における中央構造線の西端に建つ和歌山城の石垣にもまた緑色片岩が使われている。
N極とS極の力がぶつかり合い、力を打ち消しあって生じるゼロ磁場は、この中央構造線上に多く見られるという。大地の動きが産み出した見えない力を感じ取り、古来より人はそれを治めようとし、また取り入れようとしてきた。中央構造線上に沿って営まれてきた人の生活、築かれた造形物を見てその不思議な力を感じずにはいられない。