京都の日本酒物語 移民の成果
2020年12月10日
京都の日本酒物語_移民の成果
民族の大移動ほどではないにしても、様々な民族が各地に広がって行った歴史は日本にもある。その一つがアメリカ西部への移民だろう。よく知られているハワイやブラジルもさることながら、カリフォルニアへの移民は十九世紀から始まって現在は150万人近い日系アメリカ人がいる中で半数近くが西部にいるのではないかといわれている。それだけに21世紀に入っての日本食ブームが起きた時にはアメリカでは既に流布していたという。
当然、日本酒も飲まれていて、ワインやビールほどではないにしても、段々と知られるようになった。しかし、ワインやビールのように現地で生産され、地元の味を楽しむというようなところまでは行っていなかった。
1989年、カリフォルニア州サクラメントに酒造メーカーが創設される。
【パートナーシップ酒蔵】月桂冠内蔵酒造場
造ったのは京都・伏見の「月桂冠」だった。京都・伏見といえば、兵庫の「灘」と並ぶ酒どころで、灘の硬水に対して伏見の軟水と、水の違いから「灘の男酒、伏見の女酒」という言葉があったほどだ。その伏見で1637年創業している。
現当主は十四代目という歴史をもっている。伏見はその半世紀前に時の天下人・豊臣秀吉が城を築いていた場所で、城下町として栄えていた。酒は政事にも戦いにも必需品であったから、伏見三キロ四方に数多くの酒蔵が集積していったといわれる。資料では1657年には83軒あったという記載もある。
その400年近い歴史の中には不遇の時代もあった。1785年には28軒、江戸時代が終り、明治になった1868年には残ったのは2軒(1657年に記録のある酒蔵の内で残った軒数)だった。火災や飢饉、戦火など色々な要因があったものの、乗り越えて来たのは2軒とは凄まじい。
このままではいけないと月桂冠では研究所を造り、日本酒の新しい試みをした。瓶詰もその一つだ。鉄道の普及で駅の売店で売るために「猪口付きの壜」を造ったのも。
その延長上に海外での酒造があるといえる。もちろん酵母は日本にストックが豊富にあるものの、水が大変だった。鉄分が基準より多いために断念した土地もあったが、カリフォルニア州の州都サクラメント近郊のフォルサム市では「雪解け水」を源流とする豊富な水を使うことができて成功した。いまや日本食がブームではなくなるほど定着したように日本酒も海外で飲まれるようになっている。その源流である伏見の月桂冠を見学することは、そしてさらなる革新と伝統の融合を目指す酒造りに触れることになるはずだ。
月桂冠大倉記念館
〒612-8660 京都府京都市伏見区南浜町247番地
見学時間:9:30-16:30(受付は16:00まで)
定休日:お盆休み、年末年始
外国語HP
交通アクセス
①JR大阪駅からJR京橋駅にて京阪線に乗り換え、京阪中書島駅下車、徒歩約5分(所要時間目安:約55分)
②JR大阪駅からJR京橋駅にて京阪線に乗り換え、京阪伏見桃山駅下車、徒歩約10分(所要時間目安:約70分)
③JR大阪駅からJR京都駅にて近鉄京都線に乗り換え、近鉄桃山御陵前駅下車、徒歩約10分(所要時間目安:約65分)
④JR大阪駅からJR京都駅にてJR奈良線に乗り換え、JR桃山駅下車、徒歩約18分(所要時間目安:約70分)