福井の日本酒物語 短い手紙
2020年12月10日
福井の日本酒物語_短い手紙
「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」という一文は、日本一短い手紙として有名だ。戦国時代(十六世紀)戦場から武将が妻に送ったものであるが、簡潔で要領を得た手紙として伝えられてきた。この「お仙」というのは、手紙の主・本多重次の子「仙千代」で、後の越前丸岡藩主となった本多成重のことで、その丸岡に「一筆啓上 日本一短い手紙の館」が2015年オープンするほど愛されている。
丸岡城から二キロ北東に進むと渓谷があり、夏場は城主が涼みにきたとも言われている。そこは実に奇妙な土地であった。地下に大きな岩盤があったようで、この地「山久保」だけが災害が起きない。戦後北陸最大の地震といわれた福井地震の時にも被害がなかった。大きな川もあるが、下流での災害はあっても、水害もないという。しかも水は一ヶ月経っても腐らないほどで、酒造りに適していたことを見抜いたか城主から「酒造り」の命がこの地に下ったのだった。
【アトラクティブ酒蔵】久保田酒造
丸岡・山久保の地に、270年前(1753年)から酒造りに勤しんでいるのは久保田酒造。
城主の涼んだ場所は、いまや酒蔵茶房として活躍している。つまり蔵の中を川が流れていると風情は、なかなか見られない光景だろう。
それでも水は変わってきているという。上流にダムができたり、酸性雨が影響してか鉄分のない水だった井戸水がかつてのような澄んだ水ではなくなった。そこでさらにボーリングして地下200mからの水を汲みだし良質なものに戻した。先代の10代目は「井戸水は人の手がかかるほどダメになる」と言っていたようだ。水への拘りもそうだが、麹造りも拘った。自社開発のマシーンを大吟醸が出始めた頃(1970年代)に作り上げ、麹造りの機械化に成功したことも、単に伝統を守るだけではない「ちから」をみせている。漫画『蔵の宿』のモデルとなった酒造メーカーであることも頷けることだろう。
丸岡といえば、春の桜が有名な城があり、さらに海岸線まで進めば「東尋坊」という断崖絶壁の柱状節里があって、海の幸も楽しめる。
11代目が語るのは日本酒が「食中酒」として普及することだ。デザート酒だけでなく、食べながら飲める酒を造り出して、日本食だけでなく、フレンチやイタリアン、中華にも合う「食中酒」、それは純米酒だろうとも言っている。甘口から辛口を視野に入れた酒造りがますます進んでいる。
久保田酒造
〒910-0207福井県坂井市丸岡町山久保27-45
見学時間:8:00-17:00
定休日:
外国語HP:
交通アクセス
①JR京都駅からJR敦賀駅にてJR北陸本線乗り換え、JR丸岡駅下車、車で約15分 (所要時間目安:約180分)
②JR丸岡駅からバスにて丸岡バスターミナル下車、本丸岡バス停からバスにて山久保バス停下車、徒歩約2分 (所要時間目安:約30分)