徳島の日本酒物語 四国という聖地
2020年12月10日
徳島の日本酒物語_四国という聖地
四国には「遍路」という巡礼路がある。ほぼ四国一周するのであるが、訪ねる寺は八十八。それは、「空海(774~835)」に由来する。九世紀の最も知られた仏教の僧侶の一人である彼の生地が四国・讃岐であるということと、彼の修法の場の一つが四国であったことによる。その「四国八十八ヶ所」を巡礼する歴史は古く、修行僧が多く訪れ、16世紀には巡拝するルート案内の書籍まで出ているほどだ。しかも依然として現在でも廻っている人が絶えない。これは世界遺産レベルの話ではないか。(巡礼路は未だ二つしか世界遺産ではない)
その一番最初に訪れるべき寺院「一番札所」の霊山寺は鳴門市にある。空海がここで修法し、四国に八十八ヶ所の霊場をつくる祈願をした寺でもある。なぜここからはじまるか。それは四国への入る最初の港「牟屋」(のちに撫養・むや)だったからだ。その港を起点に「南海道」(701年に全国58国に、東海・東山・北陸・山陰・山陽・南海・西海の7街道が制定されたうちのひとつ・四国の街道としてできた)ができていたからだが、のちにこの最初の街道67.3キロを「撫養街道」といった。「遍路」のスタート地点・霊山寺へ導く道として多くの人が通ったのである。まさに「遍路」の最初の最初。
【メイクアトライ酒蔵】本家松浦酒造
撫養街道は、現在途切れ途切れになっているが、霊山寺までの道も充分見所がある。その一つが「本家松浦酒造場」、なんと1804年創業であるが、そのルーツは九州肥前の「松浦・まつら」一族。水軍で勇名をならした松浦党の支族であるという。それだけに蔵見学に訪れた人達には歴史的にも貴重な品々が紹介され、試飲だけでない満足度があるという。また、「撫養街道」沿いには大谷焼の窯元や醤油蔵などがあって、地域での合同のイベントもあり、酒蔵見学では済まない魅力を持っている。
一方で、四国は温暖な地であり、果実の産地としても有名だが、「ゆず・すだち・青みかん・うめ」などのリキュール(にごり果実酒)を提供したり、アルコール29度の日本酒を製造してみたりと、進取の気風をそのままに実践してきた実績もあるので、楽しい。
一般に、関西に降り立った人が京都・奈良の寺院を廻るとすれば、それだけで終るのはもったいない。一足延ばして淡路島を渡り、徳島から四国一周する「巡礼」に出るのも日本を知る機会となるはずだ。今や船で渡ることなく、明石大橋、鳴門大橋と車で移動できることも四国が近くなったわけだが、あらゆる意味で「最初に立つ」ことは新たな発見を得ることになるのではないか。