滋賀の日本酒物語 水辺の古代文字
2020年12月10日
滋賀の日本酒物語_水辺の古代文字
日本は島国で、現在の海岸線は約44000㎞。その海岸線を約200年前に伊能忠敬が日本中を廻って測量し、『第日本沿海輿地全図』を完成した。そのときやっと正確な日本全土が分かったのであるが、その「沿海」として調べることができたのは、やはりすべてが海に面していたからだ。島国であることは世界のどの地域でも特異な環境や独特の文化を創り出している。さらに無数の川と肥沃な大地によって農耕文化が培われてきた。加えて、日本では近畿に関西の水がめと呼ばれる琵琶湖があり、その水辺の文化も魅力的だ。
琵琶湖は約400万年以上前に出来た古代湖で、その古さは五指にものぼると言われている。中でも湖西地域には「琵琶湖とその水辺景観—祈りと暮らしの水遺産」として日本遺産の選定されている「高島市」がある。しかもここには深い歴史が潜んでいたことが最近分かってきた。この地の神社に伝わる叙事詩によると、酒造りのルーツを表すような記述があるという。その叙事詩「ホツマツタエ」は1992年発見された写本で、日本に漢字が伝来する前の固有文字ではないかというのである。その五七調の古代文字には「竹藪で笹に雀が籾を入れるのを見て酒を作った事による」という言葉があり、この地・高島が酒を神にささげた事の始まりという。
そうした伝承が残るには訳がある。湖西の高島は水辺を大切にしてきたことや湧水の豊富さ、鎮守の森が多いことで「祈りー神」との結びつきも深く、生活そのものが密着していることに起因している。古代から現代まで「水辺」文化として連なるものを見出すことは容易かもしれない。
【ウォーターフロント酒蔵】川島酒造
高島に流れ込む安曇川水系は、急峻な山間を隔てて京都の山間部・朽木とも繋がっている。
朽木は日本海と京を結ぶ水陸交通の要衝地でもあり、古代から繋がっていたことが「ホツマエツタエ」にも詠われていたようだ。その間には広大な薬草園があったという。となると、医食文化としても「酒」に繋がってくる。
酒は発酵食品として健康にも文化にも貢献してきた。この高島で「発酵食サミット」が開かれるというのも納得できる。それに尽力したのが川島酒造であるが、古代文字をさらに深掘りしてみようとしたことでも興味深い。少しこの地に泊まって「水辺」文化を心身とも体験することは有意義だろう。
川島酒造株式会社
〒520-1501 滋賀県高島市新旭町旭83
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交通アクセス
①JR京都駅からJR新旭駅下車、徒歩約8分 (所要時間目安:約70分)