『水を崇拝してきた日本人』
2021年02月09日
福井~琵琶湖で、水への想いを探る。
人間にとって、水は欠くことのできない生命の泉である。とりわけ、農耕民族にとっては、田畑をうるおす水ほど大切なものはない。そこに水の神を祀る信仰が芽生え、山の懐にある水源地は水の聖地として崇められた。
6世紀になると大陸から仏教が入ってくる。仏教では、透明で綺麗な水は、穢れを除き、病を癒すものとして尊ばれてきた。そして、水の神への崇敬と、仏への信仰が共存する日本独自の文化が生まれていく。水への崇敬は人々の暮らしの中でどのように継承されてきたのだろうか。恵まれた自然の懐に抱かれた越前と若狭(現在の福井県)と、国内最大の淡水湖、琵琶湖のある近江(現在の滋賀県)で、日本人の水にまつわる物語を紹介する。
豊かな水源を持つ白山がはぐくんだ信仰
富士山、立山とあわせて日本三霊山に数えられる白山の麓に、白山信仰で栄えた白山平泉寺があった。今から1300年前に平泉寺を開いたのが修験者の泰澄だ。遠くに臨む雄大な白い山に神々の存在を見た泰澄は、いまも残る御手洗の池に降り立った白山神に導かれるように白山に登り、仏、菩薩を出現させたと伝わる。こういった霊験が全国に広まって白山は修験の霊場となった。登山口にある平泉寺は白山信仰の中核寺院として大きな宗教勢力を持つようになった。
中世には6千の坊院が立ち並び、8千人近くが住む一大宗教都市を形成していた。しかし、1574年に一向宗の信徒たちによる抵抗運動で全山焼失してしまう。今は往時の面影もなく、苔むした坊院跡に、石畳の道がかつての繁栄を偲ばせている。
白山は名前の通り、1年の多くを白い雪に覆われている。その雪解け水が、麓の村々の田畑を潤すことで、水分(みくまり)の神としても、尊ばれていた。今も白山を水源として、福井、石川、岐阜県へ、それぞれ、九頭竜川、手取川、長良川と3本の川が、流れ、人々の生活や農事が支えられている。
道元が開いた曹洞宗の本山、永平寺。現在も修行の寺として、座禅や修行の体験が出来る古刹である。ここでは白山から湧き出る水を、白山水と呼び、毎朝、道元にお供えして一日の修行を行っている。白山信仰や、平泉寺の歴史については、白山平泉寺歴史探遊館まほろばが詳しい。
90キロ離れた若狭と奈良を結ぶ水の神事
若狭は、古来、大陸からの文化の玄関口であり、内外に開かれた海の国であった。奈良時代には、天皇や宮中に、塩や海産物を税として納める御食国(みけつくに)と呼ばれていた。今の小浜市には130以上の寺院がある。奈良時代から平安、鎌倉時代にかけての古刹と重要文化財の仏像が残っており、海のある奈良とも言われている。
若狭の中心で国府が置かれた遠敷(おにゅう)の地(現在の小浜市)には、奈良の東大寺二月堂のお水取りに使う聖水を送る、お水送りで有名な神宮寺がある。お水取りは、お水取りは観音菩薩に人々の罪の許しを請い、除災招福を祈る「修二会」の行事の一部だ。お水取りの10日前の3月2日、神宮寺の井戸で汲み上げられた聖水は大きなかがり火で清められた後、遠敷川へ注がれる。そして3月12日に東大寺二月堂の井戸で汲み上げられる聖水は不老長生と繁栄をもたらすありがたい水とされ、多くの参拝者がこれを求めて集まる。若狭小浜と奈良の間約90キロの地下を潜った聖水が10日かけて二月堂の井戸に湧き出るという伝承に基づいた神事だ。
二月堂本尊に供える聖水にはるばる遠敷川の清流が選ばれたのは、若狭が天皇や宮中に食材を供出するなど若狭と奈良の深い結びつきによるものだとされる。若狭の歴史や文化については、遠敷の里にある、若狭歴史博物館が詳しい。遠敷の里には、今も多くの古刹と仏像が地域の信仰の対象として、大切に守られており、見学することが出来る。
生物資源を絶やさない湖国の民の知恵
琵琶湖は、滋賀県にある日本最大の湖であり、約400万年の歴史を持つ日本で唯一の古代湖である。古代湖とは、成立後10万年以上経った湖で、世界にバイカル湖やタンガニーカ湖など20湖ほどしか存在せず、長期間にわたって水域が存在したことで、独自の進化をとげたり、その湖にのみ生き残ったりした固有種が約60種も残っている。また、琵琶湖の周囲にある多くの内湖にも多彩な生物が育まれている。
近江八幡市にある最大の内湖、西の湖には水郷とヨシ原の風景が残っており、重要文化的景観の第一号に選定された。漁業では、エリ漁などの多様な伝統的漁法が残っている。その多くは魚の習性を利用して、網の中へ誘導する待ちの漁法で、必要な量だけを漁獲し、限りある水産資源を大切にする漁法として受け継がれている。
湖魚をご飯に漬けこんで、発酵させる、ふなずしなどの伝統的な食文化や、特に桜や紅葉の時期に水郷地帯周辺を船で巡る水郷めぐりは、人気のある観光スポットになっている。
また、滋賀県の高島市の針江地区では、遠く離れた湧き水を竹筒でつなぎ、要所、要所に溜め枡を作り、各家に配分する古式水道が江戸時代に作られ、今も利用されている。また豊かな湧き水が流れるカバタと呼ばれる洗い場を、飲み水、炊事、洗濯に使い分け、最後は鯉を飼って、残飯を処理させるという水利用の知恵が残っている。このような水資源の共同管理の文化を今も見ることができる。琵琶湖は、周囲の環境を大切にするくらしが何世代にもわたって営まれてきたことによって日本農業遺産に認定された。琵琶湖の歴史、人々の暮らし、生物多様性などについては琵琶湖博物館が詳しい。古来から日本人が受け継いできた水への思いを知ると、その風景に奥深さが加わる。