Spiritual KANSAI シリーズブログ9 : 旅コラム瞑想編
2021年02月19日
関西地域は日本の精神文化の聖地であり、正真正銘のおもてなしに溢れる関西。そんな関西を「Spiritual KANSAI」と題して、様々なテーマを抽出しコラムにまとめてみました。本ブログシリーズでは、それらコラムを順に紹介していこうと思います。シリーズ第9弾は、「旅コラム瞑想編」をお届けします。(以下文章は本サイトのSpiritual KANSAI コラムページ(https://kansaiguide.jp/rt/column/)より引用しています)
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旅コラム瞑想編
沈黙の中。僧侶が蓮華座を曲げる度、僧衣の生地が擦れる音だけが聞こえます。線香の煙がゆっくりと流れ、時が経つこと感じます。やがて瞑想は始まり、線香が燃え尽きるまで続きます。僧侶が瞑想をしている姿には静寂のオーラを感じます。私は西洋の価値観とクリスチャンの思想で育ったため、日本の精神性には衝撃を受けました。日本の宗教は西洋のように数多の複雑な教典に基づくことなく、シンプルかつ十分なインスピレーションを提供してくれます。誓いを立てたりバプテスマを施したりせずに、誰もが寺院や神社の宗教儀式に参加する事が出来ます、これは本当に奇跡です。全ての男性と女性に対して門戸は開かれており、自らの価値基準や信念の違いについての質問も特になく、万人が歓迎されているかのようです。全ての物事に敬意を払い、全ての精神的なアプローチに対して寛容的です。
福井県にて曹洞宗の大本山である永平寺にて座禅の体験をしました。永平寺には宿坊の柏樹關があり禅の現代的なアプローチを提供しています。永平寺が認定する禅コンシェルジュが禅の世界に私たちを案内をしてくれます。
また福井の大安禅寺の僧侶である高橋氏と一緒に別の寺院で座禅を実践していると、呼吸がすべての瞑想の基本であることがすぐにわかりました。どんな状況であっても、呼吸の仕方を意識し、それを会得することで、瞑想の状態に入ります。空気を吸い込んだり吐いたりするのは、当たり前すぎるくらいに自然なことなので、その瞬間を感じながら、意識的に呼吸を整える事は本当に難しく、故に呼吸と向き合うことが出来ると、それはつまり人生と向き合うことと同義になるのです。私たちは呼吸を整えることによって禅の教えに入り、そしてより人間とは何かという状態に向き合えるのです。
精進料理
寺での精進料理を頂く事は、食の原則と向き合うことに他なりません。食べることは命を受けることです。そして全ての命への敬意と、調理をしてくれた方々への感謝を感じることです。それは日本の伝統にある通り、ご飯を一粒も残さずに食べる、勿体無い文化にも通じます。一見シンプルに見えますが、精進料理は実はとても複雑です。食材の素材の味を引き出すために料理法が確立しています。スープの繊細さ、完璧に調理された鮮度高い野菜は、甘くて深い味わい。食事が終わると、胃はいっぱいになりますが、重くはありません。この至福の体験をした後は、間違いなく、心も体も浄化されているような気持ちを楽しむことができます。
書道
瞑想と呼吸、精進料理、それらと共に仏教の精神性を体験する事が出来ます。それが書道です。手で毛筆を握り、漢字を書いてゆきます。眼を凝らして漢字の書き順に沿って書き進めます。集中をすることで、体の熱が上がり、自然と瞑想状態に入ります。
アンジェロ・ディジェノバ