民衆を突き動かした聖地、自由への憧れが宿る道を歩く

民衆を突き動かした聖地、自由への憧れが宿る道を歩く

2021年02月23日

The KANSAI Guide

江戸時代に一大ブームとなった巡礼の旅、「お伊勢参り」

 皇室の祖先とされる天照大神が祀られる伊勢神宮は、多くの日本人が心のふるさととして慕い、一生に一度は参宮したいと願う神聖な地だ。古くから伊勢神宮への参詣は「お伊勢参り」と呼ばれて親しまれ、現在も年間に約1,000万人が訪れる人気の観光スポットとなっている。
 10世紀の平安時代末期まで、皇室の氏神であった伊勢神宮は庶民の参詣が禁じられていたが、次第に天照大神を国家の最高神とする思想が強まり、緩和されていくことになる。13世紀の鎌倉時代中頃になると、参詣者の宿泊の世話をする御師が全国で活躍するようになり、庶民にも信仰が広がっていった。17世紀に入り、戦乱がなくなった江戸時代になると「お伊勢参り」は一大ブームとなり、人口約3,000万人の時代に、半年間で460万人が訪れたとの記録もある。このあたりの伊勢参りの隆盛の時代的推移などは、三重県総合博物館ⅯieⅯuに詳しい。

 交通機関が発達した今でこそだれもが気軽に参詣できるようになったが、明治時代になって幹線鉄道が開通する130年前までは己の足で神宮までの道のりを歩かなくてはいけなかった。江戸時代には、各地の大名が領地と江戸を行き来する参勤交代が義務付けられており、このおかげで街道が各地にどんどんと整備されていく。そして、それらの街道から分岐して伊勢神宮に参るための道が数多く造られた。これらは総称して伊勢参宮街道と呼ばれる。
なかでも西の京都・大阪・奈良方面から参宮するルートとしては、「伊勢北街道」「伊勢本街道」「伊勢南街道」の3つがある。ここでは最もにぎわった「伊勢本街道」を西から東に歩いてみる。

難所続きのゴールデンルート、伊勢本街道を歩く

 3つの伊勢街道の真ん中に位置する伊勢本街道は、伊勢までの最短距離を通るルートだが、最も難所が多い。だが「神の御心に叶う道」として古来多くの人が通行した。第11代の垂仁天皇の皇女・倭姫命が90年にわたり天照大神の鎮座地を求めて転々とし、伊勢にたどり着くまで天照大神と一緒に旅をした道とされるため、そう呼ばれる。
 実際に伊勢本街道を歩いてみる。近鉄榛原駅を起点に東に向かうと伊勢街道(あを越え道)との分岐点・札の辻には、国学者の本居宣長が宿泊したとも言われる宇陀市指定文化財旧旅籠あぶらやがある。現在、内部が公開
されており、2階座敷のずらりと並べられた配膳台の様子から、参詣が隆盛であったことが伝わってくる。

 さらに東へ歩みを進めると今も宿場町の面影がかすかに残る高井にたどりつく。地名のゆかりとなった井戸の脇には、1200年前に活躍した名僧・空海が使って立てた箸がそのまま成長したという伝説が残る「千本杉」がある。この千本杉は、水を求めて井戸を掘った後に自然に水を集める作用を託して植えた井戸杉で、日本最古の井戸杉とされる。

 宇陀ケ辻を過ぎると最初の難関・石割峠だ。伊勢本街道の最高標高地(695m)であり、冬の寒さは厳しいが夏は涼しく花が咲き誇る。峠を下ると、初代天皇の神武天皇が大和を征服した東征伝承が残る血原橋がある。ここを北に進むと、空海が開いた女人禁制の時代の高野山で女人の参詣が許された室生寺に着く。
黒岩の集落を過ぎ林を抜けると見事に美しい田園風景が広がる。そしていよいよ伊勢本街道最大の難所・鞍取峠を越える。本街道の中でも最も勾配が厳しく、つづら折りの急坂が続く。鞍取峠の名は伊勢に向かう倭姫命が強風に馬の鞍を飛ばされた伝承に由来する。倭姫命が鎮座地の候補の一つとして杖を置いたとの伝承からついた御杖村を東へと向かい、岩坂峠をくだるとそこは三重県との県境。いよいよゴールの伊勢神宮が見えてくる。
約200年前の江戸時代後期、庶民の間で爆発的な人気を博した旅日記が一大ベストセラーとなった。十返舎一九の「東海道中膝栗毛」だ。世間からドロップアウトした弥次さん、喜多さんが江戸からお伊勢参りをする間の無鉄砲な旅道中が描かれている。行く先々で飲み食いし、くだらない狂歌を読み、猥雑極まりないホラを吹く…。当時の人々は二人の旅の破天荒ぶりに拍手喝采し、道中の土地の様子の細かい描写は、ガイドブックとしての役割も果たした。
伊勢神宮への信仰心もさることながら、娯楽としての旅の大衆化、さらには非日常への憧れが「お伊勢参り」の旅を後押しした。また約60年に1度、爆発的な規模の民衆がお伊勢参りに向かう社会現象が発生した。十分な旅行費用がなくとも、道筋の人たちが食べ物や宿泊場所を与えてくれた。これを神のおかげとし、「おかげ参り」と呼ばれるようになった。こうして伊勢の町は参宮者を相手とする接客業の街に変貌していく。
「伊勢参り 大神宮へも ちょっと寄り」という当時の川柳がある。庶民の本音はお参りよりも、その道中を楽しむことが目的でもあった。崇高な神様がいる場所への憧れだけでなく、日々の雑事から解放される自由への憧れが伊勢神宮への盛大な参行の求心力となったのだろう。伊勢神宮に続く街道の数の多さと今に残る繁栄の様子がそのエネルギーを伝えてくれる。

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